ネコかあちゃんになって


by kan_ten
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引越しとか

誰でもなる病気だそうです。

私は2011年の8月に初めて心療内科へ行きました。
いつからうつの症状があったかは記憶にありません。
九州に来て結婚して引越しして、1年のうちに3回住所が変わりました。
その3回目の時、隣家の騒音も原因になったんだと思います。
賃貸の小さな一軒家だったのですが、一日中大きな音がしていました。
ペット不可なのに小型犬が騒いでました。
休日には早朝からバイクの音。ハーレーが10台は下らなかったと思います。
もちろんカスタムしてますよね。わかりますよね?音。
自分でバイクに乗ることも嫌になっていました。
家にいることが苦痛でした。

1年耐えたと思います。
2008年秋、猫との出会いで家の購入になりました。
急いで探したにしては条件のいい中古物件が見つかり入居。
次の年の初夏には私の妊娠がわかり、本当に招き猫でした。
しかし、10週で流産。なんにも出来なくなりました。
本当にゆっくりにだと思うのですが、家事が出来なくなっていきました。
外に行くことも億劫になっていきました。
ただ猫と一緒に過ごすことだけが毎日になっていました。
そんな自分が嫌いになり、腹が立ち。
少し気に入らないことがあるだけでモノを投げたり。
そんな日の次の日は動けませんでした。
音にも光にも異常なほど敏感になり、テレビも消して。
楽しいことがなんにも無くなりました。
自分なんか要らない存在だ。
存在してちゃいけないんだ。

家族が健康診断で要検査になった時、一緒に病院へ行きました。
「私、精神科にいかないといけない?」と聞きました。
必要だと思うけど、自分から行くって言わないと暴れると思われていました。
一歩踏み出した日です。

初めての日、何を話すにも涙で声が半分しか出てなかったと思います。
でも、1時間近く聞いてもらいました。
たぶん長い時間が必要なこと。
今は何もしなくていいこと。
自分は悪くないんだと思えるようになること。
病気なんだから治療できるということ。
薬は最小限にしましょうと。

泣きながらのカウンセリングが数ヶ月ありました。
そんな時、実家の母から「妹が手術をするから来て欲しい」と電話が。
迷ってました。
妹本人から「腫瘍があるから来て欲しい」と言われました。
今思うと最後のお願いのつもりだったのかもしれません。
「ごめん、お姉ちゃんうつ病なんだ。飛行機乗れない。」
私は行けませんでした。
手術の日、母からの連絡を待ちました。
遅いので病院に電話しても「教えられません」と言われ。
夜中の12時過ぎても連絡が取れず。
1時ちょっと前「やっと帰ってきたよ」と母の電話でした。
頼りないので担当医が書いてくれた物のコピーを送ってもらい調べたら。
すごく稀な卵巣腫瘍。
稀すぎてネットで調べてもホントに何にもわからなくて。
手術が成功しても予後半年とか・・・
そんなのないでしょ。
その後、抗がん剤を耐え抜きました。
髪の毛は全部抜け落ちたそうです。

頑張った妹は4月頃「夏ぐらいにもう一度手術するかも」って連絡がありました。
招き猫のモトの腎臓が悪くなって闘病を始めた頃でした。
6月にモトが亡くなり、妹の手術は7月に決まりました。

今度は飛行機に乗りました。
また長い長い手術になりました。
お腹には大きな傷と4本ものチューブに点滴。
少し生えてきた髪は一休さんを思わせるぐらい。
なんで妹がこんなつらい目に合うのか、悔しい気持ちで。
卵巣は1個残ったけど、卵管はないし自然妊娠は望めない。
私もたぶんもう子供はムリ。
母に孫を見せてあげられないのも悔しい。
ごめんなさい、今でも涙が出てしまいます。

妹はその半年後、母と九州に来てくれて温泉で和んでました。
生々しい大きな傷なので家族湯にしか行けなかったけど。
1年ほど前のことです。
それからはあんまり何にも言ってこないので状態もいいのかな?
便りがないのはいいこと、と思っています。


私、ずっと薬をのんでいます。
もう治ったんじゃない?と思うほど元気な日もあったりダメな日もあったり。
主治医には「無理しちゃダメ」と言われます。
茶々のことがなければ、もっと積極的に減量をと言われていたのですが今は中止!
なのでゆっくりと。

たぶんこの記事を書いたのもリハビリだと思います。
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by kan_ten | 2014-02-18 15:00 | 身体